日蓮正宗の導師本尊は、日蓮宗各派が葬式仏教化するなかでデッチ上げられたもので、檀徒を支配し収奪(しゅうだつ)するためのものなのである。

 

永遠に学会員として誇り高く

 

もし・さきにたたせ給はば梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給うべし、日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子なりとなのらせ給へ、よもはうしん(芳心)なき事は候(そうら)はじ

(南条兵衛七郎殿御書、1498㌻)

 

〈通解〉 もし(兵衛七郎殿が日蓮より)先に亡くなられたならば、梵天帝釈天・四大天王・閻魔大王等にも「日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子である」と名乗りなさい。よもや粗略な扱いはされないであろう。

 

 日蓮正宗法華講は、寺の言いなりに話しているだけで、まったく疑わず、御書を学んで理解しようともしないのです。

勘違いしては困りますね。

 

日蓮大聖人の御書には、

「閻魔(えんま)」「閻魔法王」あるいは「地獄」などの名称(めいしょう)が登場するが、御本仏日蓮大聖人が「閻魔」「閻魔法王」あるいは「地獄」を記(しる)されるときは、信徒に対し、生きているときに信仰に励(はげ)むことを諭(さと)されてのことである。

 

「十王信仰」や「地獄信仰」などのように死者への追善(ついぜん)を強要(きょうよう)し、はては法要のたびごとに布施(ふせ)を信者から巻き上げようとする、葬式仏教的な考えとは正反対の目的で使用されている。

※ 成仏は本人の生前(せいぜん)の信仰にかかっていると終始(しゅうし)教えられているのだ。
それに反し、導師本尊は用語的にも歴史的にもまぎれもなく「十王信仰」「地獄信仰」に根づくものである。故人の成仏を、出家を呼んでの儀式の如何(いかん)に委(ゆだ)ねているのである。
 

日蓮大聖人の教法と「五道冥官」はまったく無縁

結論的にいえば、日蓮大聖人の教法(きょうほう)と「五(ご)道(どう)冥官(みょうかん)」とはまったく無縁(むえん)で、それを御本尊中に認(したた)められるなどといったことはありえないことである。導師本尊(導師曼荼羅)は、ニセ物以外の何物でもない。

導師本尊は、日蓮宗各派が葬式仏教化するなかでデッチ上げられたもので、檀徒を支配し収奪(しゅうだつ)するためのものなのである。
念のため、宗教法人立正安国会が日蓮大聖人の御(ご)真筆(しんぴつ)を集大成した「御本尊集目録(もくろく)」に当たり、そこに集められている百二十三体の御本尊の写真でも確認したが、「閻魔(えんま)法皇(ほうおう)」「五道冥官」の名はなかった。
余談(よだん)になるが、日蓮大聖人御入滅(にゅうめつ)に際し、枕頭(ちんとう)に掛けられたと伝えられている御本尊に、「臨滅(りんめつ)度時(どじ)の本尊」と呼ばれる御本尊がある。現在は、鎌倉比企谷(ひきがやつ)の妙本寺に格蔵(かくぞう)されている。弘安三年十月に大聖人が認(したた)められた御本尊である。
この由来(ゆらい)は、日興上人の弟子である日代が日郷に与えた書状の中に、「御円寂(えんじゃく)の時の件(くだん)の曼荼羅を尋(たず)ね出(いだ)され懸(か)け奉(たてまつ)ること顕然也(けんねんなり)、勿論(もちろん)なり」(宰相阿闍梨御返事)とあることによるとされている。
この「臨滅度時の本尊」にも、「閻魔法皇」「五道冥官」は配されていない、他の御本尊同様に、該当する座配には「天照大神」と「八幡大菩薩」が配されている。
日蓮大聖人の御入滅にあたり枕頭に奉掲(ほうけい)されたとされる「臨滅度時の本尊」の由来が正しければ、臨終にあたり特別に奉掲(ほうけい)しなければならない、導師本尊のような別格の本尊などないということが歴史的に実証(じっしょう)されることになる。
ともあれ、「五道冥官」という、日蓮大聖人のまったく使われたことのない名称を御本尊の中に書き入れた導師本尊がニセ物であることは、あまりにも明白である。日顕は今後、このようなインチキ曼荼羅を書くようなことがあってはならない。
日蓮正宗宗務院は、一刻(いっこく)も早くニセ曼荼羅である導師本尊を末寺より回収すべきである。
日蓮正宗総本山大石寺発行の『昭和新定日蓮大聖人御書』には、「十王讃歎鈔(さんたんしょう)」「回向功徳鈔」などが収録(しゅうろく)されているが、これらは日蓮大聖人の御筆(おふで)になるものではなく、まったくの偽書(ぎしょ)である。
いずれの偽書も、死者が地獄で責(せ)め苦(く)にあっている様(さま)を詳細(しょうさい)に記述し、その苦しみから救う方法はただ一つ、僧を呼んで追善供養をすることだと、しつこいほど繰り返し述べている。
「十王信仰」「地獄信仰」の完成型は、僧による追善供養によって死者が救われるということである。すなわち死者の救済(きゅうさい)に、出家の介在(かいざい)が不可欠だとするものである。
しかし、本来、日蓮大聖人の教法にのっとる追善は、出家や在家に関係なく、生者(せいじゃ)の信心いかんにかかっているとされる。同じ追善の言葉を使っても、ここに大きな本質的な違いがある。
日蓮正宗の末寺の中には、創価学会版の『日蓮大聖人御書全集』に「十王讃歎鈔」が収録されていないことを不足に思ってか、『昭和新定日蓮大聖人御書』から、わざわざ「十王讃歎鈔」をコピーにとり、配(くば)っていたところもあった。「十王讃歎鈔」に説かれている、僧が介(かい)しての七日ごとの法要の必要性が、何よりも魅力的だったのだろう。
日蓮大聖人御入滅後に著(あらわ)された他宗派の文である『善光寺縁起』『塵添埃嚢鈔』に書かれた内容が、「十王讃歎鈔」にそのまま記(しる)されており、そのことからみても、「十王讃歎鈔」が偽作(ぎさく)であることは学問的に証明されている。
「十王讃歎鈔」は、いまでは学問的に西暦一三九六年~一四一一年の間につくられたものと特定されるまでになっている。ちなみに、日蓮大聖人は、西暦一二二二年の御生誕で、御入滅は一二八二年である。
思想的には「十王讃歎鈔」は、偽書「仏説地蔵菩薩発心因縁十王経」(一一九〇年~一二〇〇年の間につくられた)や「浄土見聞集」(一三五六年浄土真宗の存覚が著した)などの系譜(けいふ)に連(つら)なるものである。
十王とは、死者を期日ごとに裁(さば)く王で、初七日・秦廣王(しんこうおう)、二七日・初江王(しょうこうおう)、三七日・宗帝王(そうたいおう)、四七日・五官王(ごかんおう)、五七日・閻魔王(えんまおう)、六七日・變成王(へんじょうおう)、七七日・泰山王(たいぜんおう)、百箇日・平等王(びょうどうおう)、一周忌・都弔王(とじょうおう)(都市(とし)王(おう))、三回忌・五道(ごどう)輪轉王(りんてんおう)の十王を指す(「十王讃歎鈔」による)。
ともかく、「十王讃歎鈔」の内容は、日蓮大聖人の仏法とは異質(いしつ)の実に無慈悲なものであり、そこにあるのは、民衆に対する堕地獄(だじごく)の脅(おど)しのみである。このような偽書が、なぜ今日まで日蓮大聖人の御書として半(なか)ば信じられてきたのか、不思議でならない。
やはり、僧侶の祈念によってのみ成仏も追善もなされるといった、出家の側(がわ)の傲(おご)りが、「十王讃歎鈔」へ向けられる眼を曇(くも)らせてきたのだろう。
 

僧による追善のみで死者か救われるとする偽書「十王讃歎鈔」

偽書「十王讃歎鈔」については、大石寺発行の『昭和新定日蓮大聖人御書』の第一巻に全文が収録(しゅうろく)されている。興味のある方は一読されたい。ただし後味(あとあじ)は、すこぶる悪いものとなろう。最後まで読み切るには、異常な性向(せいこう)でもなければ耐(た)え得ないのではあるまいかとも思える代物(しろもの)である。
 
「十王讃歎鈔」は、なかなかの長文だが、その意を汲(く)んで趣旨(しゅし)をもっとえげつなく露骨(ろこつ)に表現したものに、「回向功徳鈔」がある。その冒頭(ぼうとう)の一部を紹介する。
「涅槃経(ねはんぎょう)二云(いわ)ク、死人に閻(えん)魔(ま)王(おう)勘(あ)へて四十九の釘(くぎ)をうつ。先(まず)目に二ツ、耳に二ツ、舌に六ツ、胸に十八、腹に六ツ、足に十五打ツ也(なり)。各々(おのおの)長サ一尺也取意(なりしゅい)。而(しか)ルに娑婆(しゃば)に孝子(こうし)有(あり)て、彼(かれ)追善の為に僧を請(しょう)ぜんとて人をはしらしむる時、閻魔王宮に此事知(このことしれ)て先(ま)ツ足に打たる十五の釘をぬく。其故(そのゆえ)は、佛事(ぶつじ)の為に僧を請ずるは功徳の初なる間、足の釘を抜ク。爰(ここ)に聖霊(しょうりょう)の足自在也。さて僧来て佛を造(つく)り、御経を書ク時、腹の六の釘を抜ク也。次に佛を作り開眼(かいげん)の時、胸の十八の釘をば抜ク。さて佛を造リ奉(たてまつ)り、三身の功徳を読ミ上ケ奉て、生身の佛になし奉り、冥途(めいど)の聖霊の為に説法し給(たま)へと読ミ上ケ候時、聖霊の耳に打て候ヒシ二ツの釘を抜ク也。此佛(このほとけ)を見上(みあ)ケまいらせてをがむ時に、眼に二ツ打チたる釘(くぎ)を抜キ候也。娑婆(しゃば)にて聖霊の為に題目を声をあげて唱(とな)へ候時、我志(こころざ)す聖霊も唱フる間、舌に六ツ打て候ヒシ釘を抜キ候也。而(しか)ルに加様(かよう)に孝子有て迹(じゃく)を訪(とぶら)へば、閻(えん)浮提(ぶだい)に佛事をなすを閻魔法王も本(もと)より権者(ごんしゃ)の化現(けげん)なれば是(これ)を知(しり)て罪人に打チたる釘を抜キ免(めん)じて候也。後生を訪(とぶら)ふ孝子なくば何(いず)レの世に誰か抜キえさせ候べきぞ。其上(そのうえ)わづかのをどう(茨棘)のとげのたちて候だに忍び難(がた)く候べし。況(いわん)や一尺の釘一ツに候とも悲しかるべし。まして四十九まで五尺の身にたてゝは何とうごき候べきぞ。聞クにきもをけし、見ルに悲シかるべし。其を我も人も此(この)道理を知ラず、父母兄弟の死して候時、初七日と云フ事をも知ラず、まして四十九日百箇日と云フ事をも、一周忌と云フ事をも、第三年と云フ事をも知ラず、訪ハざらん志(こころざし)の程浅猿(ほどあさまし)かるべし。聖霊(しょうりょう)の苦患(くげん)をたすけずんば不(ふ)孝(こう)の罪(つみ)深し。悪霊(あくりょう)と成てさまたげを成し候也(以下略)」(総本山大石寺発行「昭和新定日蓮大聖人御書』より一部抜粋)以上のように、「回向功徳鈔」は初めから、僧を呼びに行っただけで死者の足に打たれた十五の釘が抜かれると、露骨(ろこつ)に僧の存在意義を強調しており、「聖霊の苦患をたすけずんば不孝の罪深し、悪霊と成てさまたげを成し候也」とまで言って脅(おど)している。なお、冒頭の涅槃経云々はまったくのウソ。
死者を安(やす)んじ成仏させることができるのは僧だけだと、執拗(しつよう)に述べているのだ。ニセ曼荼羅である導師本尊を掲(かか)げ、僧が引導(いんどう)を渡さなければ成仏しないと信者を脅す日顕宗の教義と同類のものである。
ニセ曼荼羅である導師本尊に書かれている「閻魔法(えんまほう)皇(おう)」「五(ご)道(どう)冥官(みょうかん)」の背後(はいご)には、偽書(ぎしょ)を御書となす悪(あく)比丘(びく)らの頽廃(たいはい)があるのだ。
偽書「十王讃歎鈔」には、日蓮大聖人の御書にはない「冥官」という言葉が三カ所登場する。このこともまた、偽書「十王讃歎鈔」とニセ曼荼羅・導師本尊が、通底(つうてい)していることを示しているのである。
さらに、「五道冥官」は親鷲の「和讃」にも登場する、あるいは念仏の始祖(しそ)である善導の『法事讃』に「五道太山」が登場するがそれにも通じていると見られる。「五道冥官」は、念仏の思想的系譜(けいふ)の延長線上にあるともいえる。
導師本尊―実に奇怪(きっかい)なるニセ本尊である。
 

唱題折伏に励み、広布に生涯を捧げた人が成仏しないはずがない

日蓮大聖人の仰せに曰く。
「但(ただ)在家の御身(おんみ)は余念(よねん)もなく日夜朝夕(にちやちょうせき)・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、妙覚(みょうがく)の山に走り登り四方を御覧(ごらん)ぜよ、法界(ほうかい)は寂光土(じゃっこうど)にして瑠璃(るり)を以(もっ)て地とし・金(こがね)繩(なわ)を以て八(やつ)の道をさかひ、天(そら)より四種の花ふり虚空(こくう)に音楽聞え、諸仏・菩薩はみな常楽我浄(じょうらくがじょう)の風にそよめき給へば・我れ等も必ず其の数に列(つら)ならん、法華経はかかる・いみじき御経にて・をはしまいらせ候」(松野殿御返事)
【通解】在家の身としては、ただ余念なく、日に夜に、朝に夕に南無妙法蓮華経と唱えて、最後臨終の時を見なさい。妙覚の山に走り登って、頂上から四方を御覧なさい。法界は寂光土であり、瑠璃を以って大地とし、黄金の縄で涅槃にいたる八つの道の境をし、天からは曼(まん)陀(だ)羅(ら)華(け)等の四種類の花がふり、虚空に妙なる音楽が聞こえ、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の四徳の風にそよめいている。我等も、必ずその仏・菩薩の数の内に連なるであろう。法華経はこのようにすぐれた経なのである。
「今生(こんじょう)につくりをかせ給ひし小罪(しょうざい)はすでにきへ候いぬらん、謗法の大悪は又法華経に帰(き)しぬるゆへに・きへさせ給うべしただいまに霊山(りょうぜん)にまいらせ給いなば・日いでて十方(じっぽう)をみるが・ごとくうれしく、とくしにぬるものかなと・うちよろこび給い候はんずらん」
(妙心尼御前御返事)
【通解】今生につくりおかれた小さな罪はすでに消えてしまったことであろう。謗法の大悪もまた、法華経に帰依(きえ)されたことにより消え失(う)せるにちがいない。やがて霊山に参(まい)られたならば、太陽が出て士方世界を見晴らすようにうれしく、早く死んでよかったと喜ばれることであろう。
 
また、日蓮大聖人はもったいなくも、次のようにも仰せになっている。
「我(われ)より後に来(きた)り給はん人人は此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候、日蓮も同じ車に乗りて御迎いにまかり向ふべく候、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経」(大白牛車御消息)
【通解】日蓮より後に来る人々は、この車に乗られて霊山へおいでになられるがよい。そのとき、日蓮も同じ車に乗ってお迎えに向かうであろう。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経
御本仏日蓮大聖人は、みずから弟子を迎えるとまでおっしやっているのだ。
一度でも御題目を唱えた者は、みな仏なのである。まして、仏意(ぶつい)仏勅(ぶっちょく)の不思議な団体である創価学会に縁(えん)し、広宣流布の陣列(じんれつ)に加わった者が成仏しないはずはない。
「問うて云く法華経の意をもしらず只(ただ)南無妙法蓮華経と計(ばか)り五字七字に限りて一日に一遍(いっぺん)一月乃至(ないし)一年十年一(いち)期生(ごしょう)の間に只(ただ)一遍なんど唱えても軽重(けいちょう)の惡に引かれずして四(し)悪趣(あくしゅ)におもむかずついに不退(ふたい)の位(くらい)にいたるべしや、答えて云くしかるべきなり」(法華経題目抄)
【通解】問うていうには、法華経の意味も知らず、ただ南無妙法蓮華経とだけ五字七字の題目のみを、一日に一遍、一日あるいは一年、十年、一生の問にただ一遍だけ唱えたとしても、軽重の悪業に引かれずに、四悪趣にいかないで、ついには不退転の位に到達(とうたつ)することができるのか。答えていうには、いかにもそのとおりである。
また、仏法の本義からみれば、人間は死して成仏するのではない。日蓮大聖人の教えを信じ、唱題折伏に励(はげ)む人々はことごとく、すでに成仏の境界(きょうがい)にあるのだ。
「いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり、法華経の第四に云く、『若(も)し能(よ)く持(たも)つこと有れば即ち仏身を持つなり』」(上野殿後家尼御返事)
【通解】生きておられたときは生の仏、今は死の仏、生死ともに仏である。(法華経の)即身成仏という大事の法門は、このことを説きあらわされたのである。法華経の第四の巻・宝塔品に「若し能く(この経を)持つ者は仏身を持つ者である」とある。
どうして、広宣流布に生涯を捧(ささ)げた人、あるいは一度でも南無妙法蓮華経を唱えた人が、成仏していないといえるのだろうか。
 

信心する者は生死を超えて成仏の境界にある

「導師本尊がニセ曼荼羅というのなら、これまで導師本尊で葬儀をおこなった故人は不成仏ではないか」との悪比丘らの難癖(なんくせ)も、日蓮大聖人の大慈大悲によれば風の前の塵に等しい。御本仏日蓮大聖人を純真に慕(した)う人々に対し、御本仏は慈愛(じあい)をもって次のように仰せになっている。
「設(たと)い殿の罪ふかくして地獄に入(い)り給はば日蓮を・いかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用(もち)ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし、日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏・法華経も地獄にこそ・をはしまさずらめ、暗(やみ)に月の入るがごとく湯に水を入れるるがごとく冰(こおり)に火を・たくがごとく・日輪(にちりん)にやみをなぐるが如くこそ候はんずれ」(崇峻天皇御書)
【通解】もし、あなたの罪が深くて地獄に堕(お)ちるようなことがあれば、日蓮を仏になれと、どんなに釈迦仏がいざなわれようとも、従うことはないであろう。あなたと一緒(いっしょ)に地獄へ入ろう。日蓮とあなたと共に地獄に入るならば、釈迦仏も法華経も必ずや地獄におられるにちがいない。そうすれば、ちょうど闇(やみ)の中に月が入って輝(かがや)くようなものであり、また湯に水を入れ冷ますようなものであり、氷に火をたいて溶(と)かしてしまうようなものであり、また太陽に闇(やみ)を投げつければ闇が消えてしまうようなもので、地獄(じごく)即(そく)寂光(じゃっこう)の浄土(じょうど)となるであろう。
四条金吾が罪深くして地獄に行くのであれば、私も一緒に地獄に行こうではないか」との御本仏日蓮大聖人の大慈(だいじ)大悲(だいひ)と、「導師本尊を掲(かか)げなければ地獄に堕(お)ちるぞ」と脅かす日顕宗の輩を対比してみれば、多くの言葉はいるまい。
日蓮大聖人の教えを懸命(けんめい)に実践してきた弟子を、いかに御本仏が思いやられたかを知れば、広宣流布に生き抜いた同志たちが、霊山(りょうぜん)においていかなる称賛を受けたかを確信することができる。
まして、その後において子々孫々が純真なる信心を貫(つらぬ)き、故人を追善(ついぜん)することは甚深(じんしん)なる意義がある。
「今日蓮等の類(たぐ)い聖霊(しょうりょう)を訪(とぶら)う時(とき)法華経を読誦(どくじゅ)し南無妙法蓮華経と唱(とな)え奉(たてまつ)る時・題目の光無間(むげん)に至りて即身成仏せしむ」(御義[伝)
【通解】今、日蓮大聖人およびその門下が、大御本尊に結縁(けちえん)して亡くなった人を法華経方便品第二、寿量品第十六を読誦し、南無妙法蓮華経と唱えて追善供養する時、題目の光が無間地獄に至って、即身成仏することができる原理である。
 
南無妙法蓮華経に縁(えん)した衆生は無量(むりょう)の功徳を受け、信心する者は生死を超(こ)えて成仏の境界(きょうがい)にある。さらに仏子らの唱える追善の題目は、とこしえの別離(べつり)となる死を超えて、無限の彼方(かなた)を照らすのである。
どのような理由をもって、導師本尊を掲(かか)げなければ不成仏というのか。
故人の信心は強盛(ごうじょう)にして、遺族の信心もまた純真であるのに、法脈に忍び込んだ「閻魔(えんま)法皇(ほうおう)」「五(ご)道(どう)冥官(みょうかん)」障(さわ)りをなし得ようや。先立った仏子らの成仏は、疑いのないことである。
ただし、導師本尊の過(あやま)ちを指摘(してき)されたのちも、それに執着(しゅうちゃく)し、導師本尊を掲げぬ葬儀では不成仏と謗(そし)る徒輩(とはい)は、もはや日蓮大聖人の弟子とはいえない。まさしく謗法の者である。
 

「十王讃歎鈔」のタネ本とされる「地蔵十王経」は偽経

これまで、宗祖日蓮大聖人の御書とされてきた「十王讃歎鈔」が、実は偽書(ぎしょ)であることについては先に述べたが、この「十王讃歎鈔」は、「仏説地蔵菩薩発心因縁十王経」(以下「地蔵十王経」と略す)を種本(たねほん)にしてつくられた。この「地蔵十王経」は鎌倉初期に日本においてつくられたことが、今日では学問的に証明されている。
この「地蔵十王経」、当時のふれこみでは中国の高僧である蔵川という人の作とされていた。ところが、それは真っ赤な偽(いつわ)り。日本で偽作されたものだった。
この偽経(ぎきょう)は、鎌倉、南北朝室町時代を経(へ)て江戸時代へとつづく武家社会において、追善(ついぜん)の宗教的根拠(こんきょ)とされた。武家社会に横行(おうこう)した殺生(せっしょう)や人倫(じんりん)にもとる行為に対し、後ろめたさを感じた人々が、追善をしなければとの強迫(きょうはく)観念(かんねん)にとらわれたのだろう。
日本に十仏事(ぶつじ)(初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日、百箇日、一周忌、三回忌)が定着するにつれ、この偽経「地蔵十王経」が重宝(ちょうほう)され、各宗派別に、この「地蔵十王経」をタネ本として、さらに新たな偽書がつくられたのだった。
「地蔵十王経」をタネ本としたものとしては、件(くだん)の「十王讃歎鈔」以外にも、空海(くうかい)の作と伝えられる『弘法大師逆修日記』、法然(ほうねん)作と伝えられる『金剛宝戒釈義章』など多くの書がある。
すなわち、偽経「地蔵十王経」は、鎌倉初期に偽作(ぎさく)され、それ以降の日本宗教界に強烈(きょうれつ)な影響を与えた。今日、伝えられる「十王信仰」「地獄信仰」は、その源(みなもと)をこの偽経に発するとまでいえるのである。
偽経が日本の思想、風俗(ふうぞく)をつくり出したのだ。恐るべきことである。この偽経の真実の作者は、いまだに不明である。「地蔵十王経」では、追善(ついぜん)の必要を執拗(しつよう)に説いている。次にその代表的箇所(かしょ)を紹介する。
「亡人苦に逼(せ)められて愁歎(しゅうたん)し、頌(ず)して曰く。
七七箇日を待つて飲食(おんじき)せずして寒(かん)に逼(せ)めらる。男女遺財(いざい)を以つて早く善を造して我を扶(たす)けよ。
設(も)し親禁ぜられて獄に入らば子として静かに家に居る哉(かな)。何(いか)に況(いわ)んや閻獄(えんごく)の苦をや。頭の燃ゆるすら猶喩(なおたとえ)に非(あら)ず」
「縁ある人の男女亡人を救はんと欲(ほっ)せば、今日追善に八齋戒(はっさいかい)を受けよ。福力殊勝(ふくりきしゅしょう)なり。男女瞋(いか)ること勿(なか)れば能(よ)く亡苦(ぼうく)を救ふ」
故人が遺(のこ)した財をもって追善供養せよと記している。
この「地蔵十王経」と、日蓮大聖人の御書を擬(ぎ)した「十王讃歎鈔」は、文の構成、文章ともに酷似(こくじ)している。また「十王讃歎鈔」には、「されば十王経には二七日は亡人奈河(なか)を渡るとあり」という記述もある。たしかに「地蔵十王経」には、「二七亡人奈河を渡る」と記述されている。
すなわち、ここでいう「十王経」とは「地蔵十王経
のことである。この記述をみても「十王讃歎鈔」が「地蔵十王経」を参考につくられたことは明らかである。
悪辣な脅しばかり繰り返す偽書「十王識歎鈔」
「十王讃歎鈔」は「地蔵十王経」同様、初七日、二七日(十四日)、三七日(二十一日)、四七日(二十八日)、五七日(三十五日)、六七日(四十二日)、七七日(四十九日)、百箇日(ひゃっかにち)、一周忌(き)、三回忌ごとに、十人の王が入れ替わり立ち替わり、死者が生存中に犯した罪を裁(さば)くとする。
このとき、死者がそれぞれの王に辱(はずかし)められ責められるのを助けるのは、残された夫や妻や子をはじめとする親類縁者の追善供養しかないと説くのである。
以下、忌日(きじつ)ごとに裁く王の名と、その王の責めから死者を救うために追善供養をせよと記している箇所(かしょ)を紹介する。引用文は、すべて日蓮大聖人の御書を偽(いつわ)る「十王讃歎鈔」(『昭和新定日蓮大聖人御書』大石寺発行)である。
まずは初七日において、秦廣王(しんこうおう)より死者は次のように申し渡される。
「時に大王汝(なんじ)今まではゞかるところもなく道理だてを申(もうし)つるに、などてや今返事をば申さぬとせめ給(たま)へば、勅定肝(ちょくじょうきも)に銘(めい)じて泣クより外(ほか)の事はなし。此時我心(このときわがこころ)を恨(うら)み、千度百度悔(くゆ)れども後悔先(こうかいさき)にたゝず。故に後世を心(こころ)に懸(か)クべき事肝要也(かんようなり)。徒(いたずら)らに多くの月日を送り居てで剩(あまつ)さへ罪業(ざいごう)を犯し・又三途(さんず)の古郷に還(かえり)て、重(かさね)て苦(くるし)ミをうけん事更(さら)に誰をか恨(うらま)んや」
【通解】そのとき、閻魔大王が、お前はいままで遠慮(えんりょ)もなく理屈を言っていたのに、なぜいまは返事をしないのかと責められたところ、大王の言葉が肝に銘じて、泣くよりほかにはない。そのとき、自分の心を恨み、千回、百回と悔いても、後悔先に立たずである。だから、後世を心に懸けることが肝要なのである。いたずらに多くの月日を送っていて、そのうえに罪業を犯し、また三途(三悪道)の故郷に帰って、重ねて苦しみを受けることは、さらに誰を恨んだらよいのか。
これが、その後につづく、死者に対する地獄の責(せ)め苦(く)の伏線(ふくせん)となる。
二七日初江王(しょこうおう)
「さても罪人、妻子の追善(ついぜん)今や今やと待ツ處(ところ)に、追善をこそせざらめ、還(かえっ)て其(その)子供跡の財寶(ざいほう)を論じて種々の罪業を致(いた)せば、罪人彌々(いよいよ)苦をうく。哀(あわ)れ娑婆(しゃば)にありし時は、妻子の為(ため)にこそ罪業を造(つくり)て、今かゝるうきめを見るに、少しの苦を輕(かろ)フする程の善根(ぜごん)をも送らざること恨(うら)み限りなし。貯(たくわ)へ置(おき)し財寶一(ひとつ)だにも今の用にはたゝざりけりと、一方(ひとかた)ならぬ悲シさに泣キさけぶこそ哀れなれ。大王是(これ)を御覧(ごらん)じて、汝が子供不孝(ふこう)の者也、今は力及ばずとて地獄に堕(おと)さる。又追善をなし、逆謗(ぎゃくぼう)救助の妙法を唱へ懸(か)クれば成佛(じょうぶつ)する也。然(しか)れば大王も歓喜(かんき)し給ひ、罪人も喜ぶ事限無(かぎりな)シ」
【通解】ところで、罪人が妻子の追善をいまかいまかと待つところに、追善するどころか、かえってその子どもが親の残した財産を争って、さまざまな罪業をつくるので、罪人はいよいよ苦しみを受ける。哀れなことに、娑婆にいたときは妻子のために罪業をつくって、いまこのような憂(う)き目を見ているのに、少しの苦しみを軽くするほどの善根さえも送らないことに対して恨みは限りがない。貯(たくわ)えておいた財宝の一つさえもいまの(苦を救う)役には立ちはしないと、このうえない悲しさに泣き叫ぶさまこそ哀れである。閻魔大王は、これをご覧になって、お前の子供は不孝者である。いまは私の力も及ばないと言って、地獄に堕(お)とされるのである。また、追善をおこない、五逆罪と正法誹謗(ひぼう)の者も救い助けることのできる妙法を唱えて回向(えこう)すれば成仏するのである。そうすれば大王も歓喜され、罪人も喜ぶことは限りないのである。
 
秦広王(京都・浄福寺本「十王図」土佐光信作・室町時代

(ネット地涌、その他より引用)